福茶をご存じですか?

福茶とは、古くから伝わる縁起物のお茶で、大晦日の夜に除夜の
鐘の音を聞きながら飲んで、新しい年に福を呼ぼうというものです。

福茶の由来

そもそも福茶の始まりはその昔人皇六十二代村上天皇の天歴五年
諸国に悪疫流行し死する者其の数を知らず。空也上人之を憐れみ
十一面観音像を作り車に乗せ自ら洛中を牽き歩き観音に供へし茶
を病人に興へしに多くは一回にて悉く平癒せり。村上天皇之を聞き
召され深く其徳を嘉みさせ給ひ毎年元旦の暁と節分には必ず服し
給ふを吉例とせり。
これを王福茶と称し大福茶と転化今日に及べり。
諺に朝茶は其日の何を逃れると申されます福茶を召し壱年の計と
富貴長命をお祈り下さい。

「芝浜」という落語に福茶という言葉が出てきます。江戸落語の人情噺です。
「しばはま」と読み、あらすじは次の通り。

魚屋が居りました。魚屋といっても、店舗を構えての魚屋ではなく、魚河岸
で魚を仕入れ、朸(おうこ)で荷を担いで各家を回る魚屋です。一心太助を
想像してください。
この男、魚を見る目は素晴らしく、人当たりも良いのですが、酒好きで、よ
く仕事を怠けせっかくの得意客をよく失います。
そんなある日、女房が頼み込んで何とか魚河岸に行かしました。その道すが
ら、浜で40両入りの財布を拾います。喜んだ魚屋は、飛んで帰って、「こ
れで遊んで暮らせる」と友人達を集め、大酒盛りをして寝てしまいます。
翌朝、魚河岸に行くように、女房に起こされた魚屋は、40両の話をすると、
女房は、知らない。でも、酒盛りは本当にした。この払いはどうする?と聞
きます。
正気に戻った魚屋は、酒断ちを女房に誓い、真面目に働きはじめます。
元々、商売上手の魚屋ですから、酒さえ止めれば、問題無し。得意を取り戻し、
3年後には、店を構えて、従業員まで持つようになります。
その年の暮れ、大晦日。機嫌よく、前の年に生まれた子供をあやす魚屋に、女
房は、古びた財布を出します。魚屋が数えると40両。女房は、折角、働く気
になった魚屋が、この金のために、働かなくなり、そして、この40両を使い
きった時の思い、「無かった事にしよう」と魚屋に知らない振りをして、役所
に届けたと打ち明けます。その財布は、持ち主が名乗り出ずに、届き主に返さ
れた40両でした。
この事を聞いた魚屋は、怒るどころか、女房の心遣いに感謝して喜びます。
女房は、祝いにと、酒を付けますが、魚屋は、また夢になるといけないからと
杯を置きました。

芝浜の落語カセットを聞いてみると・・・
桂三木助(解説書によるときわめつけだそうです)
普通のお茶しかででこない。

古今亭志ん朝(三木助のとは教わった師匠の系列が違うみたいです)
「ん、しょっぺーじゃねーか」
「ふくじゃだよ」
「あぁ、ふくじゃかい。ふくじゃの味なんかわすれちまったい」

発音はフクチャでなくてフクジャになってました。

福茶の召し上がり方
本品は土瓶1ト入れ分に成って居りますから
熱湯をさしてお召し上がり下さい。
元旦の暁と節分の夜に飲用下さい。

原材料名  茶・米・梅・黒豆・昆布・勝栗・山椒

七種類の品物は、七福を意味しているのでしょう。


    提供 東京・品川 今井園茶舗 


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